2016年8月はリオオリンピックで世界が盛り上がっていますねー!
一発目の金メダルをもたらした水泳の萩野選手から始まり、多くの選手が感動とメダルを日本に届けてくれていますね!
ほんとオリンピック大好きです。。毎日感動があっていいですもんね。
しかも9月にはパラリンピックが控えているんですね!
スポーツ漬けのこの2ヶ月間は4年に1度の楽しみで毎日ウキウキしてますww
そのパラリンピックでも注目選手が大勢いらっしゃいます。
その中でも個人的に気になっている選手が高桑早生(たかくわ さき)選手です!
高桑早生選手は義足のランナーとして、近年めざましい成長を遂げている選手の1人です。
高桑早生選手とはどんな人物なのでしょうか
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高桑早生選手のプロフィール
名前:高桑早生(たかくわ さき)
出身地:埼玉県熊谷市
誕生日:1992年5月26日(24歳)
身長:157cm
血液型:O型
出身高校:成徳大深谷高校
出身大学:慶應義塾大学総合政策学部
就職先:エイベックス
高桑早生選手は、小学校6年生の秋に左足に骨肉腫を発症しました。
そしてその年の12月に最初の手術を受け、中学校1年生になって3回目の手術を受けた際にがん細胞が見つかり、4回目の手術で左脚膝下を切断しました。
左脚膝下切断後、義足を装着した高桑早生選手は、「歩行訓練で1週間はかかるだろう」と言われていたところをすぐに歩けてしまったそうです。
それでも歩きが安定するまでには1年近くかかったと言います。
高桑早生選手は、ご両親がテニスをやっていた影響を受けて、自分も小さい頃からテニスを始めていました。
中学ではソフトテニス部に入り、左脚膝下を切断後も義足をつけてテニスは続けていましたが、テニスは縦にも横にも斜めにも動くスポーツで、義足での動きに限界を感じていました。
そんな中、高桑早生選手は陸上に出会ったのでした。
義足でも健常者と同じようなタイムで走ることができることを知った高桑早生選手は、そこから陸上の道に入っていきました。
高校から本格的に陸上を始めて、陸上部では健常者と一緒に練習を重ねました。
2年生の時にはアジアパラユースという国際大会に初出場し、100m、走り幅跳びで金メダルを獲得!
陸上歴わずかにも関わらずすごい成績を残しています!
そして慶應義塾大学でも陸上を続け、2012年のロンドンパラリンピックでは、陸上100メートル、200メートルで7位に入賞するという快挙を果たしたのです。
すごい人ですね!努力家です。
高桑早生選手のコーチはどんな人物か?
高桑早生選手が本格的な指導者と出会ったのは高校2年生の時でした。
埼玉大学でスポーツを専攻していた大学院生の高野大樹さんという若きコーチでした。
高野コーチにはパラリンピックの競技経験も指導経験もありませんでしたが、高桑早生選手の素質と研究熱心さに感じるところがあり、自分自身でパラリンピック選手の指導方法を確立したいと思ったそうです。
そして、高桑早生選手の走りを動画におさめて研究する生活が始まりました。
高野コーチは、高桑早生選手にとってどんな条件が整えば体が思うままに動いて理想的な走りができるのかを解明しようと、研究をつづけました。
そして、“五足スプリント走の疾走フォームに関する発生運動学的研究”と題した修士論文を書き上げました。
そして高野コーチは現在、埼玉県立の定時制高校の教員をしています。
今も土日は高桑早生選手のコーチを続けているそうです。
熱意あるコーチに出会えたことで高桑早生さんの成長も一段と早くなったということでしょう!
まとめ
もともとスポーツが好きだった高桑早生選手。
義足生活になっても自分が置かれた状況に負けることなく、チャレンジを続けてきた姿勢は高桑早生選手の精神的な強さを感じます。
そして、何より、高桑早生選手のまわりで支え続けた両親や陸上部の仲間や、高野コーチの存在は大きかったのだろうと思います。
リオパラリンピックで高桑早生選手が実力を出し切った勝負ができることを祈ってやみません。
高桑早生選手、がんばってください!!
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